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「呉錦堂を語る会通信」

「呉錦堂を語る会」は2011年8月に、呉伯瑄氏(移情閣の主人であった呉錦堂の令孫)と三上隆氏(孫文の支援者であった三上豊夷の曽孫)、橘雄三氏(元財団法人孫中山記念会事務局長)ほかにより設立されました。語る会の活動を広く知ってもらうために、橘氏により「呉錦堂を語る会通信」が発行されています。当ホームページへの掲載により、呉錦堂や移情閣についてご理解を深めていただく一助になれば幸いです。(青字の各号の部分をクリックで表示されます。)

※第4号を絵の中の文字が分かりやすいものに差し替えました。(2014年3月6日)

※第9号、第10号、第12号に「大人物小故事 我的外公呉錦堂」を追加しました。(2014年4月24日)

※第13号で誤字がありましたため、修正しました。(2014年5月29日)

※第7号で誤字がありましたため、修正しました。第16号で一部追記しました。(2014年10月29日)

 

※第6号で発行月の英語表記修正、12号で記事を追加しました。(2015年1月27日)

※第18号で一部修正。3頁、「お嬢さんご夫婦」→「ご子息ご夫婦」(2015年6月12日)

 

※第14号<<好々爺-呉錦堂にこんな側面も->>で一部修正。(2015年9月4日)

 

※第22号2頁の「※昭和はじめの30万円は、今の・・・」の箇所、「2、3億円」→「5、6億円」に訂正。(2016年8月12日)

 

※第32号3頁見出し、1930年頃→昭和30年頃に訂正。(2017年4月11日)

 

※第34号4頁に一部追記。(2017年8月30日)

 

※第9号2頁左段、移情閣の落成(1915年)→移情閣(1915年上棟)の落成 父→祖父に修正。また第一面、《呉錦堂墓》の節、「姪の啓夏、甥の啓鼎などが・・・」→「甥の啓夏、啓鼎などが・・・」に訂正(2017年11月17日、12月23日)

 

※第1号、第17号、第35号、第37号を一部修正しました。(2018年3月28日、4月6日)

 

※第31号を一部修正しました。2頁の一番下、垂水区→西区 (2020年7月1日)

 

※第42号に「呉錦堂と尼いも畑」を追加しました。(2021年5月14日)

  • 第1号(2012.4) 移情閣で「旧呉錦堂別邸」碑の除幕式挙行

  • 第2号(2012.5) 呉錦堂が開拓した神出小束野(お祭り訪問編)

  • 第3号(2012.5) 呉錦堂が開拓した神出小束野(資料編)

  • 第4号(2012.5) 聞き取り、小束野開拓百年史(1)

  • 第5号(2012.5) 聞き取り、小束野開拓百年史(2)

  • 第6号(2012.6) 聞き取り、小束野開拓百年史(3)

  • 第7号(2012.7) 「新移情閣秘話-コンクリート・ブロックに賭けた夢-」

  • 第8号(2013.6) 「松海別荘での孫文先生歓迎午餐会から百周年を記念する集い」開催

  • 第9号(2013.8) 呉錦堂の故郷慈溪 その1(訪問記)

  • 第10号(2013.8) 呉錦堂の故郷慈溪 その2(呉錦堂墓表)

  • 第11号(2013.9) 1984年、マスメディアが取り上げた「 呉錦堂 中国で“名誉回復”」

  • 第12号(2013.10) 移情閣金唐紙の復元者 上田尚氏を東京のアトリエに訪ねる

  • 第13号(2014.5) 呉錦堂の故郷慈溪その3(章炳麟撰呉錦堂旧墓表発見記)

  • 第14号(2014.8) 一幅の掛け軸 -1916年夏、孫を抱き移情閣前の緑陰で涼をとる呉錦堂- 一枚の写真-どの人が梁啓超(りょうけいちょう)?-

  • 第15号(2014.9) 蘇州に呉錦堂令孫、曹愛徳氏を訪ねる 大正15年1月16日付神戸新聞に掲載された呉錦堂死亡記事

  • 第16号(2014.10) 1927年10月3日朝、神戸駅着蒋介石、呉錦堂長男呉啓藩宅を経て有馬へ 一枚の写真「呉氏宅の蒋介石と呉啓藩」

  • 第17号(2015.1) 孫穂芳女史寄贈孫文銅像除幕式挙行される 聞き取り、小束野開拓百年史(4)

  • 第18号(2015.5) 呉錦堂は孫文と宋慶齢の結婚式・披露宴に出席したか? 呉錦堂令孫、魏瑜氏ご家族、孫文記念館来館

  • 第19号(2015.7) 移情閣上棟百周年記念講演 2015年5月9日於:孫文記念館 足立裕司先生

  • 第20号(2015.8) 大人物小故事(14)「善悪」、(15)「宿願」

  • 第21号(2015.9) 「呉錦堂の土地所有は栄町通1丁目にはじまる!」

  • 第22号(2015.9) 「呉錦堂は籠池通りの新邸に住んだか?」

  • 第23号(2015.10) 呉錦堂の商号、「義生栄(ぎせいえい)」と「怡生(いせい)」、「横山栄吉考」-移情閣の設計者は横山栄吉!?-

  • 第24号(2016.1) 呉錦堂の舞子地域の土地所有について、呉錦堂の舞子地域の土地所有-武藤山治との関係について-

  • 第25号(2016.4) 「同時代」紙誌に見る呉錦堂像、武藤山治回想録に見る呉錦堂像

  • 第26号(2016.4) 1910年外務省文書に登場する呉錦堂の商号「義生」、中村哲夫著「呉錦堂寧波幇の主導した実業愛国の革命」に見る「義生」及び「義生栄」、獅子文六『バナナ』に描かれた呉錦堂と移情閣

  • 第27号(2016.4 同5月6日、17日に一部修正) 続・横山栄吉考 大人物小故事 同じ時期、同じ工務店が手掛けた「籠池通呉錦堂邸」と「六甲山ホテル」

  • 第28号(2016.7) 舞子・上ノ山(山電舞子公園駅北東)にあった呉邸 2003年孫文が取り持った陳舜臣×玉岡かおる両氏の対談

  • 第29号(2016.7) 呉錦堂の小束野(こそくの)開拓に関する原資料、「神出村役場文書」 「二頭立て馬車」で「凱旋将軍」のように兜町に現れた呉錦堂

  • 第30号(2016.11) 武藤山治(1867~1934)と呉錦堂(1855~1926) 1.舞子浜の住人 2.中山手にあった武藤邸と呉邸 3.武藤山治と呉錦堂の出会い、それから

  • 第31号(2016.12) 呉錦堂、移情閣、孫文が登場する陳舜臣著『囚人の斧』 呉錦堂と孫文の関係

  • 第32号(2017.4) 上ノ山(山電「舞子公園」駅北東すぐ)の呉錦堂邸跡の特定 昭和30年頃の舞子駅北方住宅地の様子 呉錦堂は「表には名前を出さず」、孫文を支援していた

  • 第33号(2017.5) 『続刻杜白両湖全書』に見る呉錦堂の故郷慈谿での水利事業 「水利局経理沈衍周の不正事件」概略ほか

  • 第34号(2017.6) 神戸日華実業協会創立百周年を記念して大倉山に「博愛」碑建立・前身「日支実業協会」創立に呉錦堂らが尽力 呉錦堂の大阪時代(1888、89年頃)ほか

  • 第35号(2017.9) 『浙慈呉錦堂先生六旬榮壽録』「序」 「神戸に灯をかかげた人-武藤山治と呉錦堂-」

  • 第36号(2017.10) 『浙慈呉錦堂先生六旬榮壽録』「壽言」(前半)日本語訳

  • 第37号(2017.11) 『浙慈呉錦堂先生六旬榮壽録』「壽言」(後半)日本語訳

  • 第38号(2017.12) 明石市桜町、街並みの原型に呉錦堂の土地所有が大きく影響 呉錦堂の明石での土地所有、補遺

  • 第39号(2018.2) 大正15年(1926年)1月14日逝去『呉錦堂先生哀思録』紹介

  • 第40号(2018.3) 呉錦堂の大阪時代(続)

  • 第41号(2018.4) 呉錦堂、中国浙江省温州市近郊で鉱山を経営

  • 第42号(2018.12) 呉錦堂の東亜セメント(株)経営 呉錦堂令孫、伯瑄(はくせん)氏を悼む

  • 第43号(2018.12) 「松海荘の変遷」1.建築物の変遷 ほか

※11号に掲載されています神戸新聞記事は、編者の橘氏に対して神戸新聞社様から使用許可を受けています。

最終更新日 ( 2021/05/14 金曜日 11:57:43 JST )

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