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​あとがき

 

 

「分け入っても分け入っても青い山」(山頭火) 

 この3年、一区切りつくごとに口にした句です。

 編集、データ入力、資料・情報提供、版組に関わって下さったのは先に記した通りですが、そのほかにも多くの方々のご協力をいただきました。これらの方々のご協力なしには本冊子をまとめることはできなかったでしょう。皆さま方にこころよりお礼申し上げます。特に、久保田文次先生にはお世話になりました。この「日本人人名録」に関して先生は、私にとって文字通り生き字引のような存在の方でした。もちろん、仕上がりについての責任はすべて編集代表としての私にあることはいうまでもありません。

 本冊子が刊行されてもいないのに、「私の祖父が孫文先生とお会いしていた」、「家にこんな資料が残っていますが……」といったお話が、いくつも館に寄せられました。新聞で「人名録」の制作のことをご覧になられた方々からの連絡です。よくこんな資料が残っていたものだと感銘を受けることがしばしばありました。これまでの人名辞典からは得られない無名の方々に関するデータのいくつかはこうした情報によってその空白を埋めることができました。多くの皆さまが小冊子の完成を心待ちにして下さっているのを励みにしながら作業を進めてきました。このような仕事の仕方は私にとっては初めてのことです。  とはいえやはり時間が足りませんでした。さらには、私自身の孫文や関連人物についての知識の不足は大きな問題でした。初歩的なミスも少なくないのではないだろうか?そんな不安が残っています。

 その一方で、これで「日本で唯一の孫文記念館」として「辛亥革命100周年」を記念するために一仕事できたかな、という感もしております。「日本と孫文」についての探求をさらに一歩深めようとされている方々にとって一つの確実な踏み石となればと願うものです。  

2011年11月12日
安井三吉

増訂版あとがき

 増訂版作成に際しても、北は福島、南は沖縄まで、また中国からも貴重なご意見をいただきました。また、初版と同様、久保田文次先生には、ご多忙のなか、全編にわたって多くの貴重なアドバイスをお寄せ下さいました。あらためてお礼申し上げます。

 今回は、初版作成の際、見落としていたいくつかの資料、文献を参照しましたが、特に『哀思録』と張家鳳『中山先生与国際人士』上・下(秀威資訊科技、2010年)からは多くの知見を得、内容の充実を図ることができました。今後とも、資料の発掘、情報の収集に努めたいと思っています。なお、以後、補訂については、孫文記念館のHPの「人名録」のページを通じて随時発表していきます。また、同ページには「孫文のひろば」というコーナーを設けていますので、ご意見、アドバイスなどございましたら、ぜひご投稿下さい。

 皆様のいっそうのご協力をお願い申し上げます。

 

2012年10月
安井三吉

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